終・始業式

終・始業式(9月24日)

 前期期末考査も終わり、令和6年度も半年が経過しました。9月24日には終・始業式が行われ、放送による校長講話(以下内容掲載)を全校で聞き、新たな気持ちで後期のスタートをきりました。

◆ 終始業式 校長講話

 前期期末考査も終わり本日から後期となります。前期の終業式と後期の始業式を兼ねて、放送にて終始業式を行います。
 皆さんには、この終始業式を前期の半年間を振り返り、その振り返った内容をもとに、後期の半年間の見通しをもってスタートするための時間として欲しいと思います。
 さて、後期をスタートするにあたり、ここで「暗記」という言葉について少し考えてみようと思います。
 「暗記」という言葉は、「丸暗記」という言葉に代表されるように、どちらかというと否定的な意味で使われることが多いのではないでしょうか。
 この後、皆さんは前期期末考査の答案用紙が返却されます。この試験に向けて努力した勉強がもし「丸暗記」であったなら、勉強した内容はきっと返却後に記憶から消え去ってしまうかもしれません。
 認知科学者であるアメリカのブラウン大学のスティーブン・スローマン教授は、私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかないと言っています。皆さんが手にしているスマートフォンと比べてその記憶容量の少なさは、絶望的です。
 そう考えると、人間は「記憶貯蔵装置」ではないことが分かります。
 わずか「1GB」の限りある記憶容量を最大限に活用するために、人間は必要だと判断された情報を残し、不要だと判断された情報を消すということを、日々ごく自然に行なっています。
 もし、皆さんが今回の考査のために一生懸命「暗記」した内容が、「不要だと判断された情報」ならば、情報が消去される、すなわち「忘れてしまう」ことは自然の成り行きです。
 では、本当の意味での「記憶」とはどのようなものなのでしょうか?
 このことを考える手がかりとして、棋士の島朗さんのエピソードを紹介しましょう。
 それは、島さんが「どのように将棋を勉強したか?」ということです。
 棋士はまさに膨大な量の「記憶」が求められる職業です。どれだけの対局を経験し、どれだけの棋譜を記憶するか、また対局の中でそれを引き出せるかが、勝敗を分けるとも言われています。
 島さんは、「とにかくその棋譜を徹底的に暗記する」と著書の中で述べています。実はその暗記は、私たちが普通に思う「暗記」とはずいぶん違っています。
 ある定石を学んだら、それを完全に再現できるまで何度でも考えながら再現してみるそうです。そしてそれを「自分の立場と対戦相手の立場の両方」から行うといいます。
 ある定石を身につけるために、誰かの勝負の棋譜を使い、勝った人の立場からそれを再現する。そして同じく負けたほうの立場からも再現する。島さんはここまでやってやっと「暗記」できたというのです。
 これは普通に考える「暗記」ではありません。分析し仮説を立てて検証している、あるいは記憶にタグづけしてカテゴリー化をしているとも言えるでしょう。
 言葉通りの暗記であれば「丸暗記」したからといって、それが身に付くわけではありません。そこから先、身に付けるところまで繰り返したり、分析したり検証したりするのかどうか、そうすることによって大事なところや既存の知識に紐づけられるところは記憶に残り、そうでないところは消え去っていくのです。
 さて、このエピソードは、これから進路決定に向けて受験を控えている3年生、また新人戦等の大会を控えている1・2年生の皆さんにも通ずることではないでしょうか。
 今まで学んだ知識や技術を完全に再現できるまで何度も何度も試行錯誤し、繰り返し分析したり検証したりする。その結果として、受験や試合で自分のイメージ通りの力を発揮することができると思います。
 今日から始まる後期では、その場しのぎの「丸暗記」ではなく、知識や技術を大事な場面でしっかりと発揮できるような学びを心掛けてほしいと思います。皆さんの一層の飛躍を期待しています。